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植田徹の全日本プロドリフト選手権の豆知識


植田徹の全日本プロドリフト選手権の豆知識

全日本プロドリフト選手権とは

全日本プロドリフト選手権(ぜんにっぽんプロドリフトせんしゅけん)は、2001年より開催される、「ドリフト走行」を目的としたモータースポーツである。通称「D1グランプリ」(D1 GRAND PRIX・D1GP)。主催は、株式会社D1コーポレーション。

2009年より「グランツーリスモ」が冠スポンサーとなり、シリーズ名が『GRAN TURISMO D1GPシリーズ』。 2010年より大会名が『D1GPインターナショナル・ドリフト・チャンピオンシップ「GRAN TURISMO D1GPシリーズ」』となる。

D1の由来

提案者
元レーサーの土屋圭市と雑誌『OPTION』創始者稲田大二郎。

誕生
自動車ビデオマガジン『VIDEO OPTION』の企画「いかす走り屋チーム天国」から派生。

名称
ドリフトの「D」・ドリキン(ドリフトキング)の「D」・大二郎の「D」。

この3つの「D」から頂点を目指すという意味で「D1」と名付けられた。

概要

単に速さを競う一般的なモータースポーツとは異なり、ドリフト走行における迫力や芸術性をポイント化し競うという点が最大の特徴。シリーズ戦(年間6-8戦)で争われ、2003年からは海外でも開催され人気を集めている。 グランプリということでシリーズ化、賞金獲得化、ギャラリー動員されている事が大きな特徴。

「ドリフトがどれだけ上手くてもその先はない。だったらドリフトで飯を食えるように、プロ化にしよう」という意図で開催された。土屋、曰く「最初のうちはOPTIONやV-OPTでの仕事の斡旋も考えていたが、お金を払って見る価値が出来た。」という理由による。

出場者達は各地で名前を売っている名ドリフター(ドリフト愛好者)達が中心で、日本数万人のドリフター達の頂点を争う大会でもある。近年SUPER GTなどで活躍するプロレーサーも参戦。モータースポーツの1ジャンルとして定着した。

大会歴史

2004年

参加者は有名なパーツメーカーやプライベーターが中心だったが、2004年の開幕戦では、シリーズ始まって以来初めてメーカーワークス(GM ポンティアックGTO)が参戦した。
1月に「エキシビジョンマッチ」として都心部といえるお台場で開催される。これは本来ドリフトがストリートで生まれたものであると言うことで、限りなくストリートに近い場所でという意味合いに加えて、D1グランプリの一般への認知度を高める目的も含まれていた。コースは駐車場を利用して作られた特設コースで行われ、会場のすぐそばにあるフジテレビの『すぽると!』で取り上げられて話題となる(レポーターとして、当時同番組レギュラーだった若槻千夏が風間靖幸のS15シルビアを使用して、土屋のドライブにてドリフト体験するところを放送した)。お台場ではこのエキシビジョンマッチ以降、エキシビジョンだけではなく、毎年5月に台場にて開催されているマルチプレックスのコンテンツとしてD1グランプリの公式戦も開催された。

2006年

都心部での開催ということもあり、観客動員もかなり高かったのだが、マルチプレックスと決裂したため、2006年度以降台場マルチプレックスでの開催はなくなった。(マルチプレックスは現在、追放処分と言われている織戸学・谷口信輝両選手とその選手を支援しているメーカーが中心となったモータースポーツコムとタイアップする形でドリフトをコンテンツとして継続している)

2007年

4月にお台場会場(江東区青海)でエキシビジョンマッチが開催されることが発表されたが、実際には開催されなかった。関連性はないが2008東京オートサロンにおいて「2008 D1キックオフデモラン」が開催され、これはかつてのお台場のような駐車場を利用した特設コースで行われた。

2008年

6月7日-8日は、お台場会場(江東区青海)で『2008 D1GP EXHIBITION TOKYO DRIFT IN ODAIBA』として開催。以後、同じ場所で開催される。

2009年

予選:3月28日(土)決勝:29日(日)『2009 GRAN TURISMO D1 GRAND PRIX ROUND1 IN EBISU CIRCUIT』エビスサーキット南コースにて開幕戦。
5月23日-24日(土・日)『2009 D1GP EXHIBITION TOKYO DRIFT IN ODAIBA』お台場会場にてエキシビジョンが開催。

2010年

3月27日(土)『2010 GRAN TURISMO D1GP SERIES TOKYO DRIFT IN ODAIBA』お台場会場にて開幕戦。
3月28日(日)『2010 D1GP EXHIBITION 「D1 GP ALL STAR SHOW」』エキシビジョンが開催。

2011年

3月26日(土)に開催予定だった『2011 GRAN TURISMO D1GP SERIES TOKYO DRIFT IN ODAIBA』お台場会場の開幕戦は、東日本大震災の影響で6月4日に延期となった。このため、4月23日(土)にオートポリスで行われた『2011 GRAN TURISMO D1GP SERIES ROUND 3 AUTOPOLICE』が開幕戦となった。

変遷

2000年

「全日本プロドリフト選手権」として初のプロドリフトイベントがエビスサーキットで開催され、優勝には50万円の賞金がかけられて行われた。それまでにも全国の強豪ドライバーを集めて優勝を競う単発のイベントは行われていたが、賞金をかけて行われたのはこの大会が初めてのことであった[1]。

2001年

「D1グランプリ」の名称でこの年からシリーズが開催された。各ラウンドの勝者には20万円、シリーズチャンピオンには100万円の賞金が用意された。第1~3戦までは観客を入れずVideo Optionの収録として行われていたが、第4戦エビスから観客を動員して開催されるようになった。また、D1の歴史で唯一Sタイヤの使用が認められていたのもこのシーズンである。参加選手も全国で名を売るドリフターで構成されており、現在のD1では広く行われている「ワークス参戦」の概念は無く、殆どが車両は自前のナンバー付きでメンテナンスも個人単位で行っていた。参戦者は「いか天」同様自走でサーキットに赴くことが多く、地元から遠い場所になると出場しないドライバーもいた。

2002年

チューナーワークスによる参戦がこの年から開始され、ブリッツは野村謙、HKSは谷口信輝、アペックスは今村陽一、トラストは平岡英郎をワークスドライバーとして起用した。筑波サーキットでの開催もこのシーズンが初となる。

2003年

次第にドリフトの高速化が顕著となり、日本でもっとも速度域が高いサーキットである富士スピードウェイでの開催が始まる。また昨シーズンにアルテッツァからRX-7に鞍替えした今村陽一が史上初となる「シーズン3勝」を達成した。アメリカで初めてD1を開催したのもこのシーズンであり、地元勢も多数参加し成功を収めた。

2004年

D1史上初めてアメリカでシーズン開幕を迎えた。風間靖幸・野村謙・三木竜二らが続々と初優勝を達成。またプレシーズンマッチから始まったお台場の開催は、その後の4月のエキシビジョンマッチ、9月の第5戦/オールスターマッチに発展するなど成功を収めた。オートポリスでD1が開かれたのもこのシーズンからである。

2005年

シリーズの発展に伴い、D1グランプリの下位カテゴリーとしてD1ストリートリーガルを新設。D1グランプリを「ドリフト界の世界選手権」と位置づけ世界的な展開を進める一方で、D1ストリートリーガルは全日本選手権的な位置づけで運営を行っていく方針だとしている。なお、この年はD1ストリートリーガルに国産初のメーカーワークスとしてNISMOが参戦している(末永直登を擁し、結果は優勝)。またこの年から審査員を務めていた織戸学が選手として参戦を開始した。

2006年

強豪チームのHKSが不参加、アペックスが撤退を表明(今村はのちにORCに移籍することになる)。織戸・谷口・三木ら強豪ドライバーが不出走を表明した。D1SLが初めてシリーズ戦になり、初年度は全7戦で争われた。

2007年

風間が自身のショップの都合で不出走を表明する一方、川畑真人・黒井敦史・佐久間達也からなる「TEAM TOYO DRIFT」が結成され話題となった。スピードを競うレースとは違いグリップの限界を超えてからのコントロール性能が重要なD1は、他のモータースポーツと同様にタイヤマネジメントが重要であり、その評価が市販タイヤのマーケティングに直結する事から、TOYOのチーム結成はそれまでチューニングメーカー主導であった参戦からタイヤメーカー主導の参戦に置き換わる呼び水となり、今まで以上にタイヤメーカー間の争いが激化する要因となった。シーズン後半には熊久保信重がD1史上初の三菱・ランサーエボリューションを投入したほか、松井有紀夫がBMW・318iを駆り、国内シリーズでは輸入車初のポイント獲得を達成した。

2008年

ファルケンが撤退した。
ポイント制度と優遇措置に新たな概要が盛り込まれた[2]。
ポイント制度・・・2007年まではその大会の1位に20ポイントが与えられ、以後順位が下がるごとに2ポイントずつ減ってゆき、10位から16位(すなわちベスト16の追走トーナメントに進出した選手)には1ポイントずつ与えられるポイント制度となっていた。しかしこのパターンだと「毎戦追走トーナメントに進出」するよりは「一度でも表彰台に上がる」ほうがポイント的に優位となる。この点を改善するため、10位から16位にもポイント差をつけるよう変更された。1位から「25→21→18→16→13→12→11→10→8→7→6→5→4→3→2→1」とすることで、追走トーナメントに進出する意義を持たせるとともに、優勝者がより優位に立てるシステムとした。
優遇措置・・・ドリフトの実績がまったくない車種を選んで長期の不調に陥ることを恐れるワークスが多く、なかなか現行車両が登場しない状況を鑑み、「現行販売車種に限り、予選を免除する」という新しい措置が取られた。これにより現行車種をベースにしたドリ車の参戦を促し、より多くのギャラリーの興味をひきつけることを狙いとしている。

※以下は、措置の対象予定の主な現行車種のベースマシン。

レクサス:IS350/IS250(GSE20系)
日産:スカイライン(V36)・スカイラインクーペ(CKV36)・フェアレディZ(Z33)
ホンダ:S2000(AP2)
マツダ:RX-8(SE3P)・ロードスター(NCEC)
スバル:インプレッサWRX STI(GRB)・レガシィB4(BL5)
三菱:ランサーエボリューションX(CZ4A)

なお、08年度より新たに岡山国際サーキットでも開催された。

2010年

ブリヂストンが撤退した。
12月9日のD1コーポレーション取締役会において、稲田大二郎・土屋圭市両名がD1コーポレーション取締役を辞任し、今後のD1グランプリの運営から離れることが表明された[3][4]。なお稲田・土屋の二人は2011年より新たに対抗イベントとして『ドリフトマッスル』を立ち上げている。

2011年

ヨコハマタイヤがオフィシャルスポンサーから一時離脱(2012年に復帰。ただし、ヨコハマタイヤを履くマシンは参戦していた)
またこの年からハンコックタイヤやフェデラルタイヤを装着する選手も現れた。

2012年

ファルケンが復帰した(ダンロップから変更。D1は2007年以来)
2011年にD1チャンピオンズ(エキシビジョン)で開催された中部国際空港(セントレア)特設ステージでのシリーズ戦が開催(第6戦&エキシビジョン)。お台場に続く特設コースでのシリーズ戦開催となる。またお台場も2004年エキシビジョン以来のレイアウトを変更中部国際空港(セントレア)と同様のレイアウトとなった。
2012年よりゼッケンが従来の順位順から固定ゼッケンに変更される。

海外進出

アメリカ・アーウィンデールスピードウェイでの開催やイギリス・シルバーストン・サーキットでのエキシビション開催等で海外でも注目されはじめる。

映画『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT』のドリフトシーンのスタントは、現役D1ドライバー熊久保信重、田中一弘達である。本国のアメリカロケでは(en)リース・ミレン、ターナー・ファウストらが担当している。

アメリカの人気ドラマ「HEROES」の第一話で、ヒロとアンドウが東京メトロに乗るシーンで広告に「2002年D1GP日光Round」での手塚強と春口のクラッシュ映像が映し出されている。


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